白磁の流れ
- ■中 国
- 凛として完成度が高いので取っ付きにくい。胎土や釉薬からいろんな不純物を取ったものが白磁。青磁が白磁に6世紀北斉時代に移行した。6世紀後半、北斉から隋にかけて、さらに唐の時代に飛躍的に発展した。唐代から五代、宋になると形は洗練され様々な白色が登場する。宋代、北の定窯、南の景徳鎮窯。定窯の白は気品のある象牙色、景徳鎮窯の白は清々しい青白色「影青」。唐時代までは祭器として使い、宋頃から実際に皇帝や貴族、豪族などが日常的に使っていた。
- ■朝鮮半島
- 白磁の出現は15世紀。儒教の祭壇に使う丸い蓋物、八角の台鉢、楕円形の鉢、いずれもセレモニー用、冠婚葬祭の器として使っていた。一部の高貴な家族のみで一般には金属の物を使っていた。入って来た中国の文化を消化しつつ、独自の造形を編み出した。とりすましているけれど、どこかおっとりしているとこがある。李氏朝鮮王朝時代の白磁はとろける様に白い肌と形容される。今の食器が光をピンと反射する光沢があるのに対し、李朝白磁は光を吸収するような柔らかさがある。
- ■日 本
- 奈良時代白磁が確認されるが唐白磁を模して作られたもの。六古窯は平安時代、磁器ではなく陶器を焼いていた。平安時代博多で中国南部の白磁が輸入される。鎌倉時代は中国南部の白磁がもたらされる。南北朝、室町時代には中国南部の厚手の白磁がもたらされる。16世紀瀬戸、志野に中国白磁を模した白磁が焼かれた。16世紀には朝鮮からも白磁がもたらされる。
- 江戸時代1610年、日本に初めて日本国産の白磁が生産される。肥前の伊万里である。そして1650年代末には肥前は海外に輸出するまでに成長し、「IMARI」としてヨーロッパ等で珍重された。輸出磁器は 柿右衛門の「濁手」、鍋島藩窯があげられる。中でも柿右衛門の乳白色の素地に赤絵を施した濁手は日本独自の白磁として世界が認める。